先日、102歳になられたお客様が、亡くなられました。
3月に102歳の誕生日を迎えられた時はお元気でしたが、もともとの病気が進行し、先月、息を引き取られました。
病院の緩和ケア病棟に入院していましたが、日々の習慣である、ひげをそり、入れ歯をし、補聴器を欠かさず、しっかりとした受け答えをする姿勢は、最期が近づいても変わるものではありませんでした。
「自分でできることを自分でする」、それが素晴らしいことだと、ここで言いたい訳ではありません。手伝ってもらったときは、「ありがとう」の言葉はもちろんですが、「やれることをやってもらえるだけで感謝」も口癖でした。
「あなたのやれる範囲で手伝ってもらえればいい。あなたが無理する必要はない」「人生は必ず閉じるもので、どうなろうとそれでいい、と受け止めていた」からだと今なら思います。
20歳で戦争に行き、終戦後も8人兄弟の長男として必死で働きました。受け入れるしかない人生でした。「なるようにしかならない」「死ぬときは決まっとる。行くところも、えんま帳に書いてある」「うーん、やっぱり、戦場で生死の場を過ぎて、生かされとるなーと。」
臨終に立ち会うなか、意識は無くても、ご本人から「大丈夫」と言われている気がしたのはこの人生訓を何回も聞いたからだと思います。
臨終後、娘さんとともに、通夜、葬儀打ち合わせを行い、通夜・葬儀・火葬後、先日は無事、49日法要と納骨を終えました。
「縁」があって、つながった出会いだったのだろうと思いますが、思い出すほど、背中から学んだものは大きく、今はまだ、忘れたくないなーと思うばかりです。
